ペリー来航! 琉球王国の歴史に思いをはせて|首里城と石畳


守礼門

日本の鎖国が終わることになるペリー来航。実はペリーは浦賀に来る前に琉球にやってきました。その舞台は首里城。

世界遺産の首里城と金城町石畳を散策しましょう。残念ながら2019年の火災で首里城の正殿などが焼失しました。散策できる範囲や再建状況もお伝えします。約450年間続いた琉球王国にタイムスリップ!

首里城とは

1429年から1879年まで約450年続いた琉球王国。尚家(しょうけ)が統一したのが琉球王国の始まりです。薩摩の侵略と廃藩置県で琉球王国は終わりました。

首里城は琉球王国の国王や家族の居城であり行政機関「首里王府」の本部が置かれていました。王国祭祀(さいし)を運営する宗教上の拠点。また芸能・音楽・美術・工芸など文化芸術の中心でした。

首里城跡
首里城跡

高さ120mの丘に立地し城壁で囲まれています。内部には正殿・北殿・南殿・奉神門などの建造物。西を正面としているのが特徴の一つ。城壁内の建物は中国や日本の建築様式の影響を受けています。

首里城
首里城

2000年12月に琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されました。日本では11番目の登録。

世界遺産
世界遺産

ペリーが首里城を訪れたのは

ペリーが首里城を訪れた時、琉球王国は独立国家でした。しかし中国の清と日本と通交状態。実際には薩摩の属国という立場でした。日本の鎖国を突破したい列強の国と日本幕府の板挟みだったんですね。

過去4回の火災から復元した首里城

2019年10月首里城が燃えている映像に多くの人が衝撃を受けたのではないでしょうか? 正殿など8棟が全焼しました。現在2026年の再建に向け工事が進められています。

<過去4回の火災>

1453年王位継承を争う「志魯・布里(しろ・ふり)の乱」で焼失
1660年失火により全焼
1709年失火により全焼
1945年アメリカ軍の攻撃で全焼

沖縄特有の赤瓦や朱色の漆塗りが特徴の正殿

赤瓦が使われていたのは、低い温度で焼け薪を使う量を節約できるためです。瓦屋根は士族の家や窯元などに制限されていました。今回の復元にあたり資材の確保や伝統技術を持つ職人の不足が課題だそうです。首里城の復元 がんばれ!

首里城公園の基本情報

名称首里城公園
住所沖縄県那覇市首里金城町1-2
利用時間8:30~18:00(有料区域は9:00~17:30)
公式HP首里城公園HP
アクセスアクセス

首里城公園は無料区域と有料区域(400円)に分かれます。広福門が券売所、奉神門の先は有料区域です。白銀門・寝廟殿・正殿遺構や東のアザナが見れます。正殿などは2019年の火災で焼失し残念ながら当時の姿は見れません。2021年10月から展望デッキができ復元の様子を見ることができます。

首里城見学コース

首里城を見て回るのにモデルコースがいくつかあります。「守礼門・京の内早回りコース 30分」や「首里城一周コース 120分」など。見たい所と時間を考え自分なりのコースで見てまわりましょう。今回首里城の無料区域を中心にまわり、金城町石畳へ向かいました。

ゆいレールの首里駅に到着。首里城公園の方に向かいます。上の毛(ういのもう)公園から城壁沿いに進み、久慶門から首里城に入ります。

首里城公園
首里城公園案内図

立派な城壁

琉球石灰岩でつくられた城壁の長さは1,080m。城壁の高さは6~15m、厚さは3m。立派ですね!

通用門だった久慶門(きゅうけいもん)

久慶門は女性が利用する通用門。また国王が寺院をお参りしたり、地方へ行幸するときに使用した門です。石のアーチ状の門の上に木造の櫓。重々しいですね。ボランティアの方が沖縄民族衣装を着て案内してくれます。

久慶門
久慶門

沖縄のシンボルである守礼門

沖縄のシンボルである守礼門。扁額(へんがく)に「守礼之邦(守礼の国)と書かれています。「礼節を重んじる国」という意味です。

守礼門
守礼門

首里門や上の綾門(いいのあやじょう、上の方にある美しい門)と親しまれていました。エレガントで美しいですね。2000年の記念紙幣2,000円札の絵柄になっています。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

園比屋武御嶽石門は神への礼拝の門。沖縄では神を祀る聖所のことを御嶽(ウタキ)と言います。神様が降り立った場所。地元の方が祈りをささげておられました。琉球の石造建造物の代表的なものです。

園比屋武御嶽
園比屋武御嶽石門

歓会門(かんかいもん)

首里城の城壁内へ入る第一の正門。歓会とは歓迎するという意味です。石のアーチ城の城門の上に木造の櫓。門の両側には一対のシーサー(石造の獅子像)が置かれています。魔除けのためです。

歓会門
歓会門

瑞泉門(ずいせんもん)

瑞泉とは立派な、めでたい泉という意味です。門の上に櫓がのっています。日本本土の城門で見る様式。門の手前には湧水「龍樋(りゅうひ)」。魔除け用に一対の石獅子が並んでいます。

瑞泉門
瑞泉門

木曳門(こびきもん)

首里城の修理ため材木を搬入する門。木曳門には扉はありません。琉球王国時代はアーチ部分が石でふさがれていました。

木曳門
木曳門

奉神門(ほうしんもん)

奉神門は 正殿のある御庭(うなー)へ入る最後の門になります。神をうやまう門という意味。3つの門があります。中央の門は国王など身分の高い人だけが通れる門。左側は納殿、薬類やお茶などを取り扱う部屋。右側は君誇(きみほこり)、儀式で使われた部屋です。

広福門
奉神門

首里杜御嶽(すいむいうたき)

首里杜御嶽は礼拝所です。城内には10ヶ所の礼拝所があったと言われています。神が造られた聖地。厳かな気持ちになります。

首里杜御嶽
首里杜御嶽

西のアザナ(いりのあざな)

西のアザナは城郭の西側に築かれた物見台です。那覇の町や那覇港、遠く慶良間諸島が一望できます。標高約130m。往時は旗を立て鐘で時間を知らせていました。

休憩所「首里杜館(すいむいかん)」

首里杜館のレストランでは琉球料理が味わえます。お土産ショップも。ブルーシールのアイスクリーム屋もあります。

首里杜館
首里杜館

首里城から金城町石畳へ

首里城守礼門から金城町石畳道を下りていきます。長さ300mの石畳。首里城の方から下まで降りると約10分。

風情ある石畳道。日本の道百選に選ばれています。沖縄戦の被害を免れた当時のままの姿。急な坂道なので雨の日は注意が必要です。

内金城嶽(うちかなぐすくたき)

内金城嶽 は沖縄独特の信仰形式の御嶽(ウタキ) です。祈願をする場所。赤い柵を囲んだ石積みの門。石門の奥にある大きなアカギがご神木。

内金城嶽
内金城嶽

沖縄県内のウタキは石ころひとつだけから島ひとつ全てがウタキとなっている所もあります。旅行者はご遠慮くださいという所もめずらしくありません。内金城嶽は地元町内会が観光客のために案内看板を設置してくれています。

首里金城の大アカギ

内金城嶽境内には大きなアカギの木が5本あります。樹齢200年以上。 高さは20mあります。

休憩所兼憩いの場「金城村屋」

石畳の中間ぐらいに休憩所「金城村屋」があります。

金城村屋
金城村屋

眺めが良い茶屋で一休み

石畳茶屋「真珠」で一休みします。テラス席から街が一望。実はお店は数日前までコロナの影響でお休みしていたそうです。再開したのが4日前とのこと。タイミングが良かった♪

お腹が空いたので沖縄そばを味わいます。沖縄そばは沖縄県の郷土料理の一つです。琉球王国宮廷料理の食べ物でした。名前は「そば」ですが、そば粉は使用していません。「そば」と言うのはふさわしくないとお達しが。しかし沖縄の食文化を守るため努力の甲斐があり「沖縄そば」として認められたとのこと。

沖縄ソバ
沖縄ソバ

細いうどんに近い麺。具材はソーキ、かまぼこやしょうがなど。ソーキとは豚バラ肉などを砂糖・醤油で煮込んだもの。出汁は豚骨とかつおだし。やさしい出汁の味です。ホットします。 シークワサーとアセロラのジュースを飲んで疲れが取れました。

首里城・石畳周辺の見所どころ

首里城近くには金城町石畳以外に世界遺産の見所があります。 第二尚氏の墓地である「玉陵(たまうどん)」、人口の池「龍潭(りゅうたん)池」や古い歴史を持つ安國寺など。

首里城近くのお土産

首里城近くに石鹸のお店があります。沖縄生まれの植物や果物からボタニカルソープが人気の首里石鹸。首里城近くの小さなお店から始まり現在10店舗以上のお店を展開しています。色とりどりの石鹸はお土産にぴったりですね。

首里石鹸
首里石鹸

首里城・金城町石畳のまとめ

沖縄観光の人気スポットとして首里城は外せません。首里城の火災のニュースを聞き悲しい思いをしました。現在2026年の復元に向け首里城正殿などの工事が進んでいます。2026年にまた首里城を訪ね復元した正殿などを是非見たいと思っています。がんばれ! 首里城復元!


カテゴリ: 日本の旅文化 

執筆者のプロフィール

執筆者:立花みゆ

最初の海外旅行はニューカレドニア
帰りの飛行機はダブルブッキング
シンガポール経由で帰る羽目に...

現在暮らすように旅する生活を
模索中

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